紫陽花の 葉を渡りゆく 蝸牛 行き交う人も 遊びに見ゆる

和歌のイメージ
【夏の和歌】紫陽花の 葉を渡りゆく 蝸牛 行き交う人も 遊びに見ゆるのイメージ

梅雨の雨の日に匂い立つ紫陽花

梅雨の雨音が、日常の喧騒を少しだけ遠ざけてくれる日。
薄曇りの空の下、庭先に咲く紫陽花が、しっとりと濡れて香り立つ。近づけば、その花の葉の上を、一匹の蝸牛がゆっくり、ゆっくりと渡ってゆくのが見えた。

その姿を見つめながら、ふと、思う。
この小さな生きものの目に、私たちはどのように映っているのだろう。傘を片手に急ぎ足で行き交う人々、バスや車が忙しげに走り過ぎていく音。目まぐるしく変わる景色を背に、私たちは何かを追いかけるように、今日も時を過ごしている。

けれど、蝸牛の歩みから見れば──そのすべてが、遊んでいるようにも、踊っているようにも映るのかもしれない。
たった数歩で花から花へ移るその世界では、人の営みはきっと、ゆるやかな風のように、ただそこにあるもの。

そんな風に思うと、蝸牛と目が合った気がして、わずかに胸があたたかくなった。
それはどこか懐かしくて、そして少し切ない、雨の日の対話。

意訳

紫陽花の葉の上をのんびりと渡っていくカタツムリ。
その姿を見ていると、行き交う人たちさえ、
まるで遊びに来ているだけのように思えてくる。

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